このひまわり、どこから来たの?
「はるかのひまわり」とは
1995年から受け継がれる、命の記憶と絆の物語。
1995年 1月17日
阪神淡路大震災が発生。震災で亡くなった 加藤はるか さんのご自宅跡地に、その夏、無数のひまわりが咲き誇りました。救助活動にあたった藤野芳雄氏が「はるかのひまわり」と名付け、毎年種を紡ぎながら全国の被災地へ届ける活動を始めました。
2011年〜 全国へ
東日本大震災を機に「はるかのひまわり絆プロジェクト」として理念を成文化。以来、47都道府県・累計6万パッケージ以上の種を無償配布。学校・公民館・地域団体が命の大切さを伝える活動として全国に広がっています。
「はるかのひまわり」を育て採取した種を
配布する過程で由来を伝え、災害の悲惨さと共に命の尊さを再考する機会とする事で、「人の尊厳」と「人との関わりの大切さ」を知る感性豊かな地域社会を醸成する事を目的とします。
ちいさな種から、はじまりました
1995年1月17日、阪神・淡路大震災。神戸で暮らしていた小学6年生の少女、はるかさんが、この日に亡くなりました。
その年の夏、少女の家があった場所に、誰も植えていない無数のひまわりが咲きました。近所の人たちはそれを「はるかのひまわり」と呼び、種を採り、また蒔きました。
2005年、震災から10年の節目に、この種は皇居へと渡ります。以来、ひまわりは復興の象徴として全国へ広がっていきました。
中萩ひまわりプロジェクトは、この「はるかのひまわり」を中萩の畑で育てています。地域の企業や商店のご協賛と、中萩中学校の生徒たちの手を借りて、育てて、収穫して、また次の年へ渡す。それだけの活動です。
このひまわりは、どこから来たの?
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きました。はるかさんは、この震災で亡くなりました。その後、はるかさんの家があった場所にひまわりが咲き、「はるかのひまわり」と呼ばれるようになりました。種は人から人へ受け継がれ、全国へ広がっていきました。
2025年の春ごろ、はるかのひまわり絆プロジェクト代表の松島俊哉さんに連絡し、種を送ってもらいました。その年、中萩の畑でひまわりを育てました。
2025年9月28日には、中萩中学校の生徒31名が種を取り、100粒ずつ袋に詰めました。2026年の春にその種をまき、7月18日には畑にひまわりが咲きました。
2026年9月27日、中萩中学校で、また種取りをしました。